名文家の文章術と生成AIの実力(2)

2025/10/31 石井一夫(ゼロメガ取締役)

はじめに

前回のコラムでは、本多勝一氏の著書『新版 日本語の作文技術』を取り上げ、「わかりやすい文章」が構文上の原理・原則に基づいて成り立っていることを確認しました。
では、同氏が「わかりにくい」と指摘する文章について、生成AIはどのように判断し、修正することができるのでしょうか。今回はOpenAIのChatGPT-5を使い、具体的な例文でその実力を検証してみました。

ChatGPT-5による校正テスト

(1)入れ子構造の文をどう扱うか

最初に試したのは、主語と述語が何重にも入れ子になった次の文です。
 
 <私は小林が中村が鈴木が死んだ現場にいたと証言したのかと思った。>

この文を「校正・校閲してわかりやすくし、修正理由を説明して」と指示したところ、ChatGPT-5は次のように修正しました。

 <私は、「小林が『中村が鈴木が死んだ現場にいた』と証言した」のだと思った。>

一見、読みやすくなっていますが、本多氏の修正文とは大きく異なります。
本多氏は、

 <鈴木が死んだ現場に中村がいたと小林が証言したのかと私は思った。>

と書き換え、修飾・被修飾の関係を直結させて入れ子構造を解消しています。

ChatGPT-5は、例文は修正すべきだと判断し、鍵括弧により階層を明示することで可読性を高めました。
しかし、根本的な構造改革までは行っていませんでした。
この違いは、ChatGPT-5が構文上の「見せ方」には強いものの、文章全体の論理構造を再構成する力はまだ十分でないことを示していると言えそうです。

(2)修飾語の順序と意味のあいまいさ

次に検証したのは、修飾語の関係があいまいな例文です。

 <チリ美人は、アルゼンチンの肉をたっぷり食べているセニョリータにくらべると、ぐっと小柄である。>

ChatGPT-5は次のように修正しました。

 <チリの女性は、肉をたっぷり食べるアルゼンチンの女性にくらべると、やや小柄である。>

一見して、ChatGPT-5が例文中の「チリ美人」、「食べている」、「セニョリータ」、「ぐっと」の四つの語句を、それぞれ「チリの女性」、「食べる」、「女性」、「やや」に変更していることに気づきます。 

それについては、次回以降のコラムで触れることにして、ここでは、ChatGPT-5が、例文の「アルゼンチンの」が「肉」ではなく「セニョリータ(女性)」にかかることを正しく判断し、意味のあいまいさを解消していることに着目してください。

一方、本多氏は、修飾語の長短関係を整理する「語順の原則」に基づき、次のように修正しています。

 <肉をたっぷり食べているアルゼンチンのセニョリータにくらべると、チリ美人はぐっと小柄である。>

両者を比べると、ChatGPT-5は語順を大きく変えず、句読点の使い方で明確化を図った点が特徴的です。
構文的な誤読を防ぐという目的においては、ChatGPT-5も本多氏と同様の視点を持っていると言えます。

(3)句読点のうち方で変わる意味

最後に試したのは、句読点の位置によって意味が変わる文章です。

 <渡辺刑事は血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた。>

このままでは、「血まみれ」なのが刑事なのか賊なのか分かりません。
ChatGPT-5は次のように修正しました。

 <渡辺刑事は、血まみれになって逃げ出した賊を追いかけた。>

「渡辺刑事は」のあとに読点を置くことで、「血まみれ」なのが賊であることを明確にしています。
この修正は、本多氏が示した「句読点のうち方の原則」とまったく同じであり、生成AIが文意を正確に
理解していることを示す好例です。 

生成AIの文章理解力と校正力

以上の三例から、ChatGPT-5は次のような特性を持っていることがわかります。

 ● 文の構造上のあいまいさを正確に把握できる。
 ● 修飾語や句読点の関係を理解し、自然な修正文を提示できる。
 ● ただし、意味構造の再設計や語順の再構成には課題があり、人間の判断力にはまだ及ばない。

とはいえ、生成AIは「読みやすさ」を判断する力を着実に高めており、
人間による校正・校閲の有効な支援手段となりつつある、と感じます。

文章技術は「才能」ではなく「学習の成果」

本多氏は著書のなかで、「文章をわかりやすくするのは才能ではなく技術の問題であり、
それは学習と伝達が可能なものだ」という趣旨のことを述べています。
これはまさに、AIが得意とする領域です。

生成AIは膨大な数の例文と構文データを学習することで、「わかりやすさ」というあいまいな概念を
AIなりの具体的な構文規則に落とし込みつつあります。
人間の職人的な感覚とは異なりますが、ルールと経験の積み重ねという点では、
本多氏の言う「作文技術」と通じる部分が多いのです。

生成AIが今後さらに進化すれば、「文章のわかりやすさ」において、人とAIが協働できる時代が
近づいているのかもしれません。

(続)